日本スペンサー協会会報 第20

20081010日発行                       861-8068 熊本市清水万石1-5-32 福田方

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08-01 2008年度総会 今年度総会は525日午後1時から広島大学文学部大会議室において12名が出席して開かれました。出席者: 福田昇八、島村宣男、鈴木紀之、水野眞理、村里好俊、小迫 勝、小紫重徳、小田原謡子、田中 晋、岩永弘人、根本 泉、原島貴子

 議題

1 2007年度決算の承認

    収入    118,007

    支出    41.889円 (ホームページ維持費 33,465円(07,08,093年分)

                8,000円 (会報費)

             76,118円 (次年度繰越)

1  2008年度予算の承認

      収入   201,118円 (会費収入125,000+繰越金76,118円)

      支出    28,000円 (会報費8,000+予備費20,000円) 

 3 役員改選は全員留任 会長:福田昇八  副会長:島村宣男 

     理事:鈴木紀之、水野眞理、村里好俊、竹村はるみ、R. McNamara 

4 会報送付方法について

  PCメールアドレスのある会員へは、添付メールにより送付する。

報告

1  スペンサー・シンポジウムについて(福田)

2  懇親会(246時、東広島「次郎丸」にて、9人出席)について(島村)

3 新入会員(原島貴子・日本学術振興会特別研究員)紹介(水野) 

 

08-02 会費納入のお願い 本年は会費納入の年です。納付済み者は18名で、前回のの納入率を下回ります。在職会員は、4年分5,000円を下記の郵便振替口座へ納入願います(口座間振替手数料は無料)。会則により、退職者は会費免除になっています。

    口座番号:01960?8?  25355        加入者名: 日本スペンサー協会

 

08-03 シンポジウム講師決定 2009530日、東京大学駒場キャンパスで開催される日本英文学会大会でのスペンサー・シンポジウム講師が決まりました。大野雅子・水野真理・鈴木紀之の3氏のほか、キーツ研究家山内正一氏(福岡大学)も参加し、「英詩の本流スペンサー」と題して話します。司会者(福田昇八)の方針で、発表は、下を向いて読み上げ方式でなく、聴衆に顔を向けての語りかけ方式を試みることになり、各講師はスペンサー詩のの特質を明らかにするための「語り」を鋭意準備中です。

 

08-04 傘寿を迎えたハミルトン教授 A.C. ハミルトン教授は去る7月に88歳の誕生日を迎え、元気に執筆活動中です。メアリー夫人を自宅介護しながらの限られた時間ですが、また新たなる思索の成果が期待されます。Eメールアドレスの一部が変更されました。hamiltna@queensu.ca


 

 

スペンサー関連業績

08-05 足達賀代子 2006 「太陽」の留保 --『妖精の女王』におけるエリザベス一世と妖精女王の表 -- 『〈異界〉を創造する -- 英米文学におけるジャンルの変奏 』 阪大英文学会叢書3      玉井ワ・新野緑共編 171-190

08-06 小紫重徳 2008 原初王権の歴史としての「妖精の系譜 -- 『妖精の女王』第2巻第10篇の「妖   精国のいにしえ」の寓意(上) 神戸大学国際文化学研究科紀要『国際文化学研究』 30:59-100

08-07 小迫 勝 2007 シンポジウム「文学テクスト分析におけるコーパスの利用」 『英語コーパス   研究』14: 65-67

08-08 小迫 勝 2007  アマゾンの女王・ラディガンドのエピソードにおける女性韻 『英語コーパ    ス研究』14:105-122

08-09 小迫 勝 2007 "Messages in Feminine Endings in Spenser's Faerie Queene Book V" PALA   2007      Proceedings Online (Poetics and Linguistics Association) 1-19

08-10 小迫 勝 2008 「文学テクストの言語と読みを問う」--シンポジア第十部門導入--日本英文学   会第80回大会Proceedings 179-181

 

08-11 水野眞理 アイルランド旅行記

 2008722日から29日まで,スペンサー関連の史跡をめぐるためにレンタカーでアイルランドを回りました。雨の多い国といわれるアイルランドで,奇跡的に好天に恵まれ,多くの場所を見ることができました。まず,スペンサーが最初に保有を許されたエニスコーシー(Enniscorthy),次に保有したキルコッレン(Kilcullen)のニュー・アビー(New Abbey)など,これまでスペンサー作品を読む上で意識にも浮かばなかった土地を訪れました。エニスコーシーは南東部ウェクスフォードに近く,スレイニー川に臨む城のある町です。キルコッレンは中部キルデアに近く,ダブリンで海に注ぐリフィー川の上流部に臨んでいます。前者は”Sandy Slane”として,後者は”Liffy rolling downe the lea”として,FQ IV. xi. 41に歌われています。このほか,オーベグ川(Mulla mine),ブラックウォーター川(Strong Allo),バロウ川(Goodly Barrow),リー川(Spreading Lee)などの「スペンサーの川」も見ることができました。

 今回の旅の第一の目的はキルコールマン城(Kilcolman Castle)を自分の目で見,写真に収めることでした。キルコールマン城は現在は広大な個人の牧草地の中にあって,公道からは遠く望むことすらできません。幸いコーク大学(University College Cork)のキング(Andrew King) 博士が現在の所有者の知り合いで,キング博士の案内で城へたどり着き,内部も見ることができました。ここから,ときどきコークへ通っていたのでしょう。そこは風が草を吹き渡る丘の上で人里離れた本当に寂しいところでした。内部の螺旋階段を上がったところに,銃眼がくずれて青天井になっているところがあって,何かの鳥の羽と骨がいっぱいたまっていました。今では猛禽類が獲物を運んできてつつく恰好の場所となっているのです。ミュータビリティとはこういうことを言うのだと思いました。そしてこんなところでスペンサーが座り,食事をし,眺め,書き,愛したのかと思い,血肉を備えた詩人の存在を深く感じました。多くの書物で城の外観の写真を見ることができますが,内部の写真を撮ることもできたことは幸いでした。現在作業中の『アイルランドの状況管見』翻訳が完成しましたら,そこに写真を入れて皆様のお目にかけたいと思います。1990年代にアメリカ人考古学者クリンゲルホファー(Eric Klingelhoffer)博士が発掘した結果を公表してアイルランド政府に保存を訴えていますが,今のところ動きはありません。英国詩人はアイルランドでは人気がないのです。近くには洞窟の入り口があり,この洞窟と城とがつながっている,とも言われていながら,調査もなされていません。キング博士はスペンサーがマモンやディスペアの洞窟のヒントをここで得たのかもしれない,と考えています。

 コーク大学のもう1人のスペンサリアンであるコクラン(Patricia Coghlan)博士からは,スメリック(Smerwick)こそは見ておくべき場所だ,と言われていました。1580年にイタリア,スペイン両国からアイルランドのデズモンドの乱に加担するために軍勢が来て,アイルランド南西部のディングル(Dingle)半島先端のスメリックに上陸し,砦を築きました。総督着任間もないグレイ卿は兵を率いてスメリックに向かい,大砲で砦を攻略してカトリック勢力を無条件降伏させながら,その後2日のうちに女性や子供も含む600人を殺戮しました。この攻略に総督秘書スペンサーもウォルター・ローリーも同行していたと考えられています。現地は断崖に臨む草地となって残っていますが,それと聞かなければ美しい海の眺めとしか思えないでしょう。しかし,11月のことであれば,暗い空に厳しい海風が吹きすさんでいたでしょうし,殺戮のことを知れば,ここから死体をつぎつぎと海に投げ込んだにちがいない,海水は赤く染まったにちがいない,と想像され,海から血の匂いが上がってくるような気がして身の毛もよだちます。400年以上たった今になっても,ときどき海から骸骨が打ち上げられるそうで,この事件の考古学的調査が待たれています。

 最後の一日はダブリンで過ごしました。ダブリン城(Dublin Castle)の主な部分は18世紀以降の建物ですが,一部にはスペンサーが勤務した時代の塔(Record Tower)が残っています。『アイルランドの状況管見』でアイリニーアスは具体的な数字を挙げてアイルランド統治策を提案していますが,ダブリン時代の勤務がそれを可能にしたのかもしれません。中を見ることはできませんでしたが,ここでもスペンサーの息づかいを感じることができました。

 アイルランド旅行のいまひとつの目的は,夫が研究しているアメリカの小説家ヘンリー・ジェイムズの先祖の家を訪ねることでした。スペンサーは主にダブリンから南に拠点を持っていましたが,ジェイムズの先祖は北方のキャヴァン(Cavan)県にあるベイリバラ(Bailieborough)という町の農家の出身でした。ヘンリーの祖父にあたるウィリアム(William James)18世紀末にここからアメリカに渡り,ニューヨーク州オールバニ(Albany)で始めた商売をもとに巨万の富を築きました。この富の一部を相続したヘンリー(小説家ヘンリーの父)は家族をヨーロッパ旅行に連れてまわり,哲学者ウィリアム・ジェイムズと小説家ヘンリー・ジェイムズを誕生させるのです。ベイリバラのメインストリートに,この祖先の家は今も残っていました。正面はタウンハウスのそれですが,裏手にはかつて農機具や家畜を入れていたであろう小屋もありました。それがジェイムズの先祖の家であることを示すプラークなどはなく,代わりに売り家であることを示す不動産屋の看板がかかっていました。人が住んでいなかったことは却って幸運で,不動産屋に連絡して内部を見せてもらうことができました。ここで撮った写真は,今年11月に刊行される『ジェイムズ自伝』第2巻・第3巻(大阪教育図書)に載ります。

 アイルランドはかつて鉄道が発達していたのですが,それがモータリゼイションに押されてどんどん廃線になり,ダブリン近辺を除いては今もディーゼルのままです。バス路線は発達していますが,あちこちを効率よく見てまわるためにはレンタカーに頼るしかありません。車の運転が大好きな私はアイルランドの田舎道ののんびりドライブを楽しみにしていました。ところが,制限速度が普通の国道で100km,田舎道でも80km,街中で50km,高速道路は120kmで,法的にはそれが上限なのですが,実際にはそこまでは出してもいいはずだ,そこまでは出して走れ,という空気を周囲の車から感じます。現実には,それらの速度が下限になっている,といってもいいぐらいで,英語とアイルランド語で書かれた行き先案内版を車をとめてゆっくり見る間もなく,道を間違えることもたびたびでした。一日の運転が終わると,もうぐったりして,よく事故を起こさずに生きて帰って来られたと思うほどでした。それでも帰国してみると,もう一度アイルランドの緑の中を走りたいと思わずにはいられないのです。

 アイルランドの面積7万?,人口420万,人口密度60.3 /?を日本のそれ(面積38万?,人口12千万,人口密度337/?)と比べてみましょう。さらに,日本は山が多くて人が住めるところ,耕作できるところは平地に限られていますが,アイルランドは1000mを超える山は数えるほどしかないことを考えると,アイルランドがいかに空いているかがわかります。しかしアイルランドがさびれているとか,過疎とかいう感じはしませんでした。牧畜と農業を中心とした経済は好調で,スーパ―や食料品店に並ぶ食品のレベルは高いと感じられました。ただ,EUに加盟しているためにヨーロッパ各地からの食料輸入は増えており(ジャガイモさえも),また英国資本のスーパー(TESCO)やオランダ資本のコンビ二(SPAR)がどの町にも進出していたのはやや心配でした。それでもアイルランド人の愛国感情は強く,どこへいっても独立運動の闘士が顕彰されていて,日本人の間では眉をひそめられるナショナリズムがごく自然な形でいきわたっていること,塾や予備校があるのではないけれども,子供の教育を大切に考えていることなど,アイルランドのさまざまなよい面に触れることができました。四半世紀前に英国に留学して以来の英語圏でしたが,アイルランド訛りも数日するうちに慣れ,今も耳に懐かしく残っています。スペンサーが耳にした英語もこんな訛りであったのかと嬉しくなりました。

 

08-12 根本 泉  在外研究報告 

 今年の3月末に、米国マサチューセッツ大学ルネサンス研究所での一年間の在外研究を終えて、帰国いたしました。在外研究の期間中、夏にはイタリア、ギリシアに研究旅行をし、スペンサーに影響を及ぼしたアリオストの家を訪ねたり、ルネサンス関係の資料を収集したりする機会に恵まれました。その他、アマスト滞在中には、様々な貴重な経験を与えられましたが、その中で特に嬉しかったことは、2月末に研究所所長のアーサー・F・キニー教授のご厚意で、主として大学院生を対象とする研究発表の機会を設けていただいたことでした。発表のタイトルは、The Chronicles of Narnia as a Christian Epic”としました。その後、発表に向けて、スミス・カレッジのウィリアム・オーラム教授がご指導下さることになり、9月より月にほぼ1回のペースでスミス・カレッジに通い、懇切な助言をいただきました。私の研究内容は、CS・ルイスの『ナルニア国年代記』七巻全体を一つの叙事詩と見立て、そこに、中世・ルネサンス英文学研究者であるルイスがスペンサーの『妖精の女王』から受けた影響を見ようとするものでした。しかしオーラム先生は、『ナルニア国年代記』には『妖精の女王』だけではなくミルトンの影響も見られるから、ルイスのA Preface to “Paradise Lost”を読むように、と勧めて下さいました。この助言は私の研究の幅を広げ、行き詰まらずに発表の準備をしてゆく大きな力となりました。研究を進める中で、より聖書的な「現世」と「天国」についての内容を含む『ライオンと魔女』、『魔術師の甥』、『最後の戦い』の三巻にはミルトンの影響が強く、「キリスト教叙事詩」の要素を多く持っていることがわかりました。一方、『カスピアン王子の角笛』をはじめとする四巻は「ナルニアの世界」の事すなわち「現世」を中心とする内容で 、スペンサーの影響のもとに「ロマンス」の要素を多く持っていることがわかりました。発表では、「キリスト教叙事詩」の性格の強い三巻中の『魔術師の甥』と『ライオンと魔女』を中心に取り上げ、そこに見られる「悪」のイメージについて、ミルトンのサタンとの関連で考察しました。考察の中で、これらの巻にも、スペンサーからの影響と考えられる陽気さとユーモアが、「悪」とは対照的な「善」のイメージとして浸透していることがわかりました。帰国後は、この発表をもとに小論を執筆しております。今後は、よりスペンサー的な、「ロマンス」の性格の強い残りの四巻、さらには最終巻『最後の戦い』についても研究を進めてゆくことができればと願っております。

 


08-13 吉田正憲 盧花とエスペラント 

 エスペラントに関心を持った作家としては宮沢賢治が有名ですが、明治元年生まれの徳富蘆花も同様に関心をもち、しかも自分たちの世界旅行記『日本から日本へ』の一部を愛子夫人と一緒に翻訳しました。私はこの点に興味を持って、紹介する仕事をしています。それだけでなく、ロマン派文学との関連で、自伝文学としても蘆花作品には興味があります。蘆花については中野好夫さんの研究も参考になります。私は蘆花夫妻の翻訳(英語とエスペラントの対訳)を熊本エスペラント会の名前で出版しました(200部、231ページ、2,500円 舒文堂河島書店)。

 蘆花が世界平和の問題に関心を持ったのは、彼の母の妹に当たる叔母が、横井小楠に嫁いでいて、小楠は彼の父の一敬の先生に当たりますが、父は小楠から余り重要な弟子とは考えられず、また蘆花自身も、兄の蘇峰に大いにコンプレックスを持ち、その上に父や母からも不肖の息子、また兄に劣る愚弟として重視されなかったのに、自分が世界の重要人物に向って、その小楠の思想を基にして平和の訴えをするという大胆な行為をすることに、大いに意義を認めていたということを示す文章が『蘆花全集』の中にあります。蘆花は愛子夫人と共に1919年に12ヶ月に及ぶ世界一周の旅に出ます。エルサレムに着くと、ヴェルサイユの講和会議に出席中のアメリカ大統領ウィルソン、イギリス首相ロイド・ジョージとロンドン・タイムズ紙あてに、平和会議の具体的条件を提案する英文の手紙を送りました。これは、新紀元の創始、陸海軍全廃、税関撤廃、国際貨幣の制定などを提案したものでした。この旅の船上でエスペラントの講義を聴いて、これを世界平和を訴える手段とし、後にこの旅行記の冒頭95ページを英語とエスペラントに訳して刊行したものです。

 

会員近況

08-14 足達賀代子 この夏、博士論文審査があり、9月に学位を頂くことができました。近畿大学での非常勤講師は3年目を迎えました。去年あたりから、院試受験を希望する学生さんやアルバイトで塾講師をしている学生さんからの質問や相談をたくさん頂くようになりました。

08-15 福田昇八 この9ヶ月、『妖精の女王』1-3巻韻文訳の改訳作業に明け暮れ、週に1篇、3ヶ月で1巻の予定が無事完了、毎日4時起き正午までハミルトン注を見ながらの充実した75歳でした。今でも疑問はカナダに問い合わせ、つい先日は3.10.60.43.12.36.5について詳しい返信がありました。

08-16 本間須摩子 国士舘大学ほかで変わらず非常勤講師をしております。4月初めにひとり気ままにイギリスへ、スペンサー詣でに行って参りました。ペンブルック学寮そばの花屋で白百合を買い、お墓にお供えして来ました。

08-17 小宮真樹子 同志社大学大学院後期博士課程在学中です。中世イングランドにおけるアーサー王ロマンスを、特に種本となったフランスの作品との関連を中心に研究しております。日本スペンサー協会で勉強させて頂けると思うと非常に嬉しいです。

08-18 小迫 勝 20095月頃に共著で出版(ひつじ書房)予定の『コロケーションの通時的研究』の「コロケーションの歴史的な観察--初期近代英語の詩を中心に--」の完成に努めています。『妖精の女王』の脚韻語のコロケーションの伝統性と創造性についてコーパスを利用して検証した結果を解説します。

08-19 小紫重徳 今年度末で定年退職し、一学徒として研究に専心できますので、これまで義務でしかなかった畑と敷地の世話や手入れが格好の息抜きになります。

08-20 小田原謠子 1012日の日本シェイクスピア学会「エリザベス朝後期の文学と政治風土セミナー」でスペンサーについて話す予定です。これから半年名古屋大学でスペンサーの評論をテキストに使います。

08-21 大野雅子 今年は非常勤先の明治学院大学で『妖精の女王』の第3巻を教えています。「至福の園」と「アドーニスの園」を比較して、「理想の愛」としての「貞節」とは何かを講義しました。原文は難しいので私が説明し、学生には翻訳を通読させてレポートとして提出させました。

08-22 島村宣男 Milton in Popular Cultureという論文集が2006年に出版されていますが、同書の視点はかなり以前からの私自身の関心とも近く、近年は専らアメリカ映画に深い影を落としているミルトンを追っています。この方面の小生の仕事ぶりは、むしろ「多作」を超える「濫作」に近いかもしれません。

08-23 竹村はるみ 今年度の4月より立命館大学文学部に転任致しました。一日も早く新しい環境に慣れたいと思っております。

 

08-24        連絡事項

     1 会報は本号から、PCアドレス所有者へは添付送信になっています。印刷した会報の郵送も希望            される方は、発信者へ「印刷会報も希望します」と1015日までに送信して下さい。

     2 会員名簿の訂正は直ちに下記宛お知らせ下さい。

     3 会員名簿の変更があった場合は、随時下記宛連絡下さい。

     4 会則により、会員は刊行論文1部を寄贈することになっています。刊行物には、刊行データと             2行程度の内容要約をつけたもの(様式自由)を添えてあれば(送信してあれば)次号編          集の大きな助けになります。

     5 資料送付先/会員事務連絡先

           神戸市西区春日台9-11-45 足達賀代子

          ave.pia.humilitas@movie.ocn.ne.jp

6 本号へは3本の特別寄稿を得ました。次号へも協力を期待します。(福田 )